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母が他界しました。 [家族]

4月25日水曜、母が他界しました。
享年82歳でした。

母 立枝(たつえ)は、和裁、洋裁、編み物が得意で、編み物の指導員をしていたこともあったそうですが、ボクの記憶には、居間の窓際で、呉服店からの発注の着物を四六時中縫っていた後ろ姿が鮮明です。

昭和4年生まれ、青春時代に戦争を体験した母は、ご飯粒ひとつ味噌汁一口を残すことが許せないたちで、常に倹約を心がけていました。
父は多忙な国鉄勤務で、単身赴任で数年不在となったこともありましたが、小中学生のボクと妹を(9年離れた兄もいますが、早くに独立していました)母はしっかり面倒を見て、家事全てをきっちりとこなしました。

ボクが外食をしたことは、高校に入るまで一度もありません。
どんなに忙しい時も、体調不良の時も、母は必ず自分で食事を用意してくれました。
その上几帳面な性格から、着物を縫う仕事も正確にこなし、いつしか呉服店から大きく頼られる存在となっていました。

ずっと母は仕事をしていました。
家事か和裁のどちらかしかしていませんでした。どこかに遊びに行くということは全くありませんでした。
にもかかわらず、納期通り着物を縫いあげていく母のもとには、次から次へと仕事の依頼が増え続けていき、その重圧から遂に精神を病むことになってしまいました。
いつも緊張した面持ちでイライラしていた母は、薬の処方を受け、仕事も辞め、表情に和やかさが戻ってきたかのようにも見えました。
しかし所謂「ボケ」という状態に入ったのもあっという間でした。
そして認知症へ。

大学進学以降東京に住み続けているボクは、あまり仔細にその状況を観察することはできませんでした。
ボクの2歳年下で、結婚後もずっと実家近くに住み続けている妹には、かなり負担をかけることになってしまいました。
兄夫婦は福井県在住で、帰省には3時間程度を要すので、日常の世話まではできない状況でした。

母は体だけは丈夫で、あちこち徘徊して手を焼く状況でしたが、そんな母を大正15年生まれで既に足腰も弱くなってきた父は、非常に献身的に介護していました。
施設に入所するのが妥当な状態まで認知症が進んでも、父はそれを頑なに拒み続け、母は自分が守ると言い張りました。
しかし父が大腸がんの手術をすることになり、1ヶ月の入院とその後の安静が必要になって、遂に母の入所は余儀なくされました。

入所後もしばらくは元気でしたが、やがて誤嚥による肺炎を繰り返すようになり、食事が飲み込めなくなったことで体力も衰え、寝たきりになり、最期を迎えることになりました。
この1年ぐらいの展開はあっという間でした。
しかし母は最後の最後まで父に愛され続けていました。
自宅で介護していた時も「よわったよわった(困ったの意)」と言いながらも決して自分の許から離そうとせず、入所してからも2、3日に1回は施設に会いに行き、硬直してきた手足を揉みほぐしてやり、母が笑った、目を開けた、少し良くなったというポジティブな要素一つ一つに涙を流して喜んでいました。
母方の親戚から聞いた話ですが、以前母は「何も自慢することなんかないけど、お父さんと喧嘩したことが無いことだけが自慢や」と言ってたそうです。

水曜の夕方、外で翔太とキャッチボールをしてる時に容体急変の報を受け、直ぐ様帰省の準備をし、程なくして訃報を聞いた時は、悲しくて泣き崩れました。
しかし車を走らせる帰路途中では、父が大丈夫か、そっちの方が心配になってきました。
あまりにも急だったため、父も妹も別れ際には会えなかったそうです。
車で6時間ちょいかけて到着した実家で会った母は、先月会いに行った時とほとんど変わらず、いやもっと穏やかな表情の寝顔でした。
肌はキレイでツルツルしていて、少し微笑んでいるかのようにも見えました。
父はまだ現実を受け入れられていないようでした…

27日金曜が通夜で、28日土曜が葬儀告別式となりました。
通夜は葬儀場の広間で朝まで通しで呑み続けるという昔ながらのスタイルで、28日は葬儀告別式、火葬、中陰の法要、精進料理の宴席と続きました。
28日土曜の午後5時半からプレイ予定だった、大磯ロングビーチでのTHE HACIENDA OISO FESTIVALには間に合わないのが明白だったので、急遽出演をキャンセルさせていただきました。
ボクの出演ステージにプレイを見に来てくれていた方には大変申し訳ございませんでした。
キャンセルを快諾してくれたブライアン・バートンルイス氏とTHE OISO HACIENDA FESTIVALの皆さん、そしてボクの代わりに出演していただいたDJ TSUYOSHI氏に感謝申し上げます。
28日夜に名古屋X-HALLで開催されたMETAMORPHOSE PRE-PARTYには予定通り出演いたしました。

この後ゴールデンウイークは5月2日にUST放送、5月3日に西麻布eleven、5月4日新宿歌舞伎町シネシティ広場と続き、翌週は9日大阪の新店舗OWL、そして10日METAMORPHOSE、その後11日日曜早朝は渋谷ROCKWESTのアフターアワーズと続きます。
今まで通り、いや今まで以上にパワフルなプレイをしていくつもりですので、これからもよろしくお願いいたします。
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コメント 10

jiro kinoshita

僕の実家は呉服屋なので、母上の様な方の存在はとても身近に感じます。
ご母堂様のご冥福をお祈りいたします。
by jiro kinoshita (2012-04-30 13:59) 

山本展久

Q'heyくん、blog読みました。ご冥福お祈りします。ちなみにうちの母親は昭和一桁9年です。GWのDJも頑張ってね。少し先だけどまたrockの日にご一緒しましょう。
by 山本展久 (2012-04-30 14:07) 

脇坂幸雄

大変やったみたいね。お悔やみ申し上げます。
気丈に振る舞ってる姿が文面から伝わってくるよ。
しかし、喪に服している暇もないくらいの忙しさやね。
9日は大阪でプレイするんやね。
頑張ってね\(^o^)/
by 脇坂幸雄 (2012-04-30 14:16) 

Watusi (COLDFEET)

お疲れさまです。
お母様のご冥福を心からお祈りいたします。

僕も今月16日に長患いしていた、お母様と同い年(82歳)の父を亡くしました。
当日はちょうどレコーディング・セッション中で、早めに切り上げさせて
いただきましたが、やはり駆けつけている車中で訃報を聞きました。
お通夜〜告別式の当事者の慌ただしさや、その後にじっくりとやってくる
喪失感はよくわかるつもりです。

今は残された(偶然ですがやはり和裁をやっていた)母と毎日連絡を
とっています。このGWも実家の前橋に行ったり来たりですが、葬儀等で
空けた仕事を取り返す現実とも板挟みの状況ですが、このバタバタが僕を
少しずつ落ち着かせてくれているんだとも感じています。

どうぞ、気持ちとそしてご自身のお体をより労り、ゆっくり深呼吸しながら
お仕事に戻って行って下さい。こんな時に長々と失礼しましたが、他人事
とは思えず書き綴ってしまいました。


by Watusi (COLDFEET) (2012-04-30 15:10) 

DJ SAIMURA

Q'HEYさんの日記を読ませて頂いて、自分の両親を思い出し
自分は勝手な人生送ってつくづく親不孝者だなと感じましたし
まだ元気なうちに旅行の一つでも連れて行ってあげたいななんて
思ってはいるんですが、、、
最近はようやく自分が生きていけるくらい稼げるようになってきたところでまだそんなに余裕はないんですが

今月は二回Q'HEYさんと共演できます
僕も今まで以上に
プレイできることそのものに感謝して
Q'HEYさんと出会えた事も数多く共演させて頂けてる事も
すべては僕を産んでくれ育ててくれた両親のおかげだなあと
改めて考えさせてくれた、そして
そんなQ'HEYさんを産んでくれ育ててくれたお母様に
お礼を言いたいです
by DJ SAIMURA (2012-04-30 18:18) 

Shinga Esaki

認知症の専門外来と、老人内科をやっています。82歳ともなると、程度の差はあれ半分近くの方が認知症であり、誤嚥性肺炎の発症や体力の低下を含め、一連の老化の一種(人生の一過程)と見なすのが適当です。その人らしさは失われてはいないにせよ、長く続けた職業や子供の顔もわからない様子は、同じような患者さんを見続けていてもやはり不思議であると同時に、私の両親も70代が目前でありまた自分自身も含めいつ同じ境遇になってもおかしくないと常々考えます。時の感覚や記憶力また昔の記憶が失われても、夫にとっては恋愛・結婚・子育て・子の独立を共に体験した妻であり子にとっては母であり、いわば今度は自分自身以外の人の心の中で存在し生き続けるのでしょう。Q-heyさんのお母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
by Shinga Esaki (2012-04-30 18:31) 

Takahiro igarashi G.I.O

QheyさんのDJにいつも元気をもらっています、そしてQheyさんに憧れて未熟ですがDJをやり始めました。

今月は二本イベントご一緒させて頂いております。
Qheyさんのパワフルなプレイは僕の憧れでもあり理想です。御冥福をお祈り致します。
by Takahiro igarashi G.I.O (2012-05-01 18:14) 

Aya

先日札幌でお会いしてから、急の出来事だったんですね・・・
私の母も実は持病が悪化し、先週から入院しています。

お母様のお話、涙無くして読めませんでした。
今、ReVO.tokyoのUST聴きながら書かせてもらっています。
Q'HEYさん、これからより一層のご活躍を期待しています。

お母様、どうぞ安らかに。
ご冥福をお祈り致します。
by Aya (2012-05-02 20:33) 

qhey

母逝去に際しての皆様からの温かいお言葉、本当に心にしみます。
ありがとうございました。

本来ならばお言葉をいただいた方全てに直接お返事しなければならないところですが、誠に勝手ながらこのご挨拶での失礼をお許しくださいますようお願い申し上げます。
by qhey (2012-05-03 02:55) 

ほたる

Q'HEYさんのお母様、立枝様のご冥福をお祈りいたします。
 
 今日になって気が付きました。
お悔やみの言葉が、遅くなったことをお許し下さい。
きっと、お母様は、長年の苦しみから解放されて
今はゆっくりお休みになられていると信じています。
Q'HEYのお母様は、自分は娯楽を控え、お子さんには
自由を与えるというとても献身的な女性と感じました。
だからこそ、悲しく感じます・・・
母親であっても、ひとりの人間です。
たまには、息抜きをしても良いのに・・・

 Q'HEYさん、この悲しい出来事を乗り越えて
今後もみんなの心を繋いでいってくださいね。

Q'HEYさん、日本のテクノ・シーン頼みます!



by ほたる (2012-05-12 06:28) 

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